日本電熱を知る | 日本電熱 採用サイト

日本電熱を知る

「熱とその制御」で
ものづくりの未来を築く
日本電熱は北アルプスの雄大な山並みが美しい
長野県安曇野市に本社および工場があります。
創業70年の歴史の中で、
「熱とその制御」を核として、
時代とともに様々なものづくり産業で、
業界をリードする製品を展開してきました。
加速するものづくり環境の変化や市場動向、
お客様のニーズに応えるべく
新たな分野や自社オリジナルの製品開発に
チャレンジしていきます。

事業領域
産業分野のヒーターから、
半導体、民生品まで

日本電熱は産業分野のヒーターから、半導体分野、一般のお客様が生活の中で使う民生品、
人工透析液の加熱ヒーターの医療分野まで幅広いフィールドで事業を展開しています。

工機・産業 分野
工業分野においてオーダーメイドのカスタム製品に取り組んでいます。大型ヒーターから装置まで一貫して設計・製造を行なっています。
また、電力、石油化学、原子力関連に多くの実績を持ち、高品質、長寿命な製品に加え、複雑な形状にも対応可能な加工技術を持っています。
ライフ機器 分野
全自動コーヒーマシンや女性のボディメイク用EMSなど、私たちの生活を豊かにする身近な製品を開発しています。
住まいを快適にする水道凍結防止帯や温水ヒーター、健康を支える人工透析機に使われるヒーターの開発など医療機器の開発にも取り組んでいます。
ヒーター製造 分野
各種装置や機器に組み込まれ熱源となるヒーターを製造しています。その中でも「シーズヒーター」は戦後アメリカから技術を導入し、国内のパイオニアとして業界をリードしてきました。今では当たり前になっている「シーズヒーター」も日本電熱が命名しました。
IT分野
液晶・半導体製造装置の熱処理製品を手がけています。特にホットプレート(熱板)の表面温度の均一性では高い評価を得ています。冷却用のクーリングプレートは他社では追随できない技術を保有しています。

ヒストリー
創業70年。安曇野とともに

1945年〜
日本電熱のスタート
1946年(昭和21年)に初代社長である有田耕政の手によって日本電熱研究所が創業した、当時の電熱器は非常に重く、構造も初歩的なものであった。そこに革命をもたらしたのが「空焚きシーズ線」。現在のシーズヒータである。1949年頃に初の国産化に成功し、日本電熱発展の大きな契機となった。
1960年〜
全国、そして世界へ
電気毛布の生産を開始。使い心地が良く、安全面に配慮された日本電熱の電気毛布は生産開始当初5,000枚だったが、5年間で約500万枚と急激に増え、工業製品に次ぐ主力製品へと成長。米国の世界最大電機メーカーのゼネラル・エレクトリック社、三井物産と合弁会社を設立し、海外クーラー初の国産化にも着手。生産工場も日本国内から世界へと広がっていきました。
1970年〜
スポーツにも力を注ぐ日本電熱
創立25周年を迎えた1975年(昭和50年)、電気毛布・敷き毛布がJIS(日本工場規格)指定品目に定められた。また、スポーツにも力を注ぎ、長野事業所に「日本電熱スポーツ研修館」と命名された体育館を開設。地域のスポーツ振興と社業の発展に期待が集まった。
1980年〜
身近な家電として生活に広がる
1992年(平成4年)、自社ブランドのネームを「NEOT(ネオット)」に決定。電熱機器の専門メーカーとして新しい発想や技術を用いた製品づくりにより、自社製品の強化を狙っていた。当時は電気ポットやホットプレートなどの生活家電や電気カーペットなど私たちの身近な家電として日本電熱が生活に溶け込んでいました。
2000年〜
東京スカイツリー建設の融雪ヒーターを納品
2010年(平成22年)、松田博幸が現社長に就任し、新たな時代を歩み始めた。従業員一人ひとりが経営意識を持つため、経営層の会議にも参加できるようにし、財務内容も公開した。同年、東京スカイツリー建設にあたり、展望台に取り付ける融雪ヒーターを受注。全社一丸となり取組み、無事納入することができました。
〜現在
創業70年、さらなる高みへ
2013年(平成25年)安曇野工場を新設。製造拠点を集約し効率化を押し進めた。2016年(平成28年)に創業70年を迎えた日本電熱。「省エネ・環境・新エネルギー」をキーワードとして新しい分野や新製品の開発に力を注いでいます。次の100周年に向け新たな出発を始め、「熱とその制御」を核として挑戦し続けています。

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