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「日本電熱ができないなら、他の会社もできない」と言われる程、長野県安曇野の地で創業し、熱技術の専門家として地位を築き上げてきました。ここでは、その歴史や会社の概要を紹介します。
「熱とその制御」の専門家として技術を活かし、Q・C・D、サービスの提供により顧客満足を最優先にした、社会に貢献できる企業を目指す。
HISTORY

1945年〜
日本電熱のスタート
1946年(昭和21年)に初代社長である有田耕政の手によって日本電熱研究所が創業した。当時の電熱器は非常に重く、構造も初歩的なものであった。そこに革命をもたらしたのが「空焚きシーズ線」。現在のシーズヒータである。1949年頃に初の国産化に成功し、日本電熱発展の大きな契機となった。

1960年〜
全国、そして世界へ
電気毛布の生産を開始。使い心地が良く、安全面に配慮された日本電熱の電気毛布は生産開始当初5,000枚だったが、5年間で約500万枚と急激に増え、工業製品に次ぐ主力製品へと成長。米国の世界最大電機メーカーのゼネラル・エレクトリック社、三井物産と合弁会社を設立し、海外クーラー初の国産化にも着手。生産工場も日本国内から世界へと広がった。

1970年〜
スポーツにも力を注ぐ日本電熱
創立25周年を迎えた1975年(昭和50年)、電気毛布・敷き毛布がJIS(日本工場規格)指定品目に定められた。また、スポーツにも力を注ぎ、長野事業所に「日本電熱スポーツ研修館」と命名された体育館を開設。地域のスポーツ振興と社業の発展に期待が集まった。

1980年〜
身近な家電として生活に広がる
1992年(平成4年)、自社ブランドのネームを「NEOT(ネオット)」に決定。電熱機器の専門メーカーとして新しい発想や技術を用いた製品づくりにより、自社製品の強化を狙っていた。当時は電気ポットやホットプレートなどの生活家電や電気カーペットなど私たちの身近な家電として日本電熱が生活に溶け込んでいった。
2000年〜
東京スカイツリー建設の融雪ヒーターを納品
2010年(平成22年)、松田博幸が社長に就任し、新たな時代を歩み始めた。従業員一人ひとりが経営意識を持つため、経営層の会議にも参加できるようにし、財務内容も公開した。同年、東京スカイツリー建設にあたり、展望台に取り付ける融雪ヒーターを受注。全社一丸となり取組み、無事納入することができた。

〜現在
創業80年、さらなる高みへ
2013年(平成25年)に現2号棟、2022年(令和4年)に現1号棟を開設。製造拠点の集約による効率化と伴に半導体関連事業の生産体制強化を推し進めた。また、2024年(令和6年)に勝野康弘が現社長に就任し、新体制のもと「省エネ・新エネルギー・環境・医療」をキーワードに当社の技術を活かした製品開発を推進している。次の80周年、その先の100周年に向け「熱とその制御」を核として挑戦し続けている。